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街・町・まち物語(11) 「幸・福」に学ぶ 2つのミュージアムを訪ねて

2018.05.11

パナソニックが創業100年を迎えた。戦後の経済成長を牽引した日本の電機業界は、縮小、撤退、外国企業への身売りと見る影もないが、そんな中にあって「次の100年」を歩み出したパナソニックはなんとも頼もしい。町工場から世界的な企業になり、今も成長を続ける大阪生まれの企業といえば日清食品も同じだ。こちらも今年が世界初のインスタントラーメン発明から60年。オープンしたばかりの『パナソニックミュージアム』(門真市)と、『カップヌードルミュージアム』(池田市)を訪ねてみると、海外からの見学者が多いのに驚く。”経営の神様”松下幸之助と”ミスターヌードル”安藤百福の魅力は色あせていない。不透明感の強い今こそ、この2人に学んでみたい。(敬称略)

【左=パナソニックミュージアム、右=カップヌードルミュージアム】

写真①松下幸之助歴史館 写真②カップヌードルミュージアム

京阪西三荘駅の前にできた『パナソニックミュージアム』。入口に銅像が立つ『松下幸之助歴史館』に入ると1章「礎」から7章「経世」まで松下幸之助(1894~1989年)の94年の人生と事業の歩みがパネルや資料でたどれる。再現された創業時の作業場や昔の製品、資料が展示され、ざっと見るだけでも1時間以上はかかる。売上高8兆円、世界47カ国・地域で約27万人が働くグローバル企業になったパナソニックが「脱家電」をどう進めていくのか、そんなことを思いながら見ていくのは楽しい。

すぐ隣りにある『ものづくりイズム館』は旧歴史館をリニューアルした施設で、創業以来の家電製品など約550点が並ぶ。昔懐かしいナショナルブランドのテレビ、ラジオ、洗濯機、冷蔵庫などを見ていると、日本が元気だった時代がよみがえってくる。

一方の『カップヌードルミュージアム』は、阪急池田駅から歩いて10分足らず。世界で年間975億食(世界ラーメン協会)、毎日3億食近くが食べられている「国際食」発祥の地だ。安藤百福(1910~2007年)がチキンラーメンを完成させた6畳ほどの板張りの小屋が再現されていて、中華鍋や秤、ザルなど調理用具が並び、ニワトリ小屋もある。日本が発明したものでこれほど世界に広がり、愛されている商品が他にあるだろうか。それがこんな粗末な小屋から生まれたかと思うと感慨さえこみあげてくる。

ミュージアムは2階建てで、1階はラーメン作りの歴史、百福の96年の人生の軌跡をたどる展示で、その奥と2階は「ファクトリー」だ。カップを自分でデザインしたり、チキンラーメンを作るコーナーがあり、体験型のミュージアムになっている。両施設とも入館は無料で、予約も必要ない。

『ぜんざい&カエル』

幸之助と百福はどんな人物だったのか。

実家が没落して小学校を4年でやめた幸之助が故郷の和歌山からひとり汽車に乗り、大阪の火鉢店に丁稚奉公に出されたのは9歳の時だ。自転車屋の小僧、大阪電燈(今の関西電力)を経て23歳で起業するが、初めから電器屋をやろうとしたのではなかった。

『松下電気器具製作所』を創業した大阪市福島区大開に記念碑があり、ここでは毎年11月に「ぜんざいパーティ」が開かれている。幸之助は雑誌のインタビューで「僕はぜんざい好きやから、そういうものがちょうどええなと自分で思うとった」と明かしている。ぜんざい屋にストップをかけたのが妻のむめので、「水商売は嫌です」とはね付けた。それで始めたのが電気器具の事業で、夫婦と義弟の井植歳男(三洋電機の創業者)の3人で来る日も来る日も借家の1階作業場で取り組んだ。妻の一言がなかったら今のパナソニックは存在しなかったのだ。

【幸之助の再現作業場】

写真③再現された作業場

その点、百福は生来の事業家だった。幸之助より1歳若い22歳で創業し、繊維事業で成功。幻灯機の製造、軍用機用エンジンの部品製造、住宅の製造など次々とビジネスに手を出し、戦争中には憲兵隊に引っ張られたり、戦後はGHQ(連合国軍総司令部)に逮捕され、揚げ句に頼まれて引き受けた信用組合が破綻して家財道具まで没収されてしまう。すべてを失った百福が借家の自宅裏に建てた小屋に1年間こもって完成させたのがチキンラーメンだった。1958年(昭和33年)、百福48歳である。

【百福の再現小屋】

写真④再現された研究小屋

それにしてもなぜニワトリだったのか。その伏線は10年前の食用ガエルにある。終戦直後、街には栄養失調で行き倒れになる人がごろごろしていて、百福は『国民栄養科学研究所』なる会社を興して栄養食品の開発に乗り出した。食糧不足の中で材料にできるものを探していた時、近くの池から聞こえてきたのがガーガーという鳴き声だった。

捕まえた体調20㌢もの食用ガエルを捌いて圧力釜に入れ、電熱器で焼いていると突然、爆発して家の中は滅茶苦茶になった。結局、食用ガエルはあきらめて牛や豚の骨からエキスを抽出した栄養食品を作って売り出したが失敗。しかし、これが後年、食用ガエルからニワトリに代わって大成功したのだから、人生、何ごとも無駄がないということか。

『二股&チキン』

幸之助はいつも何か考えている男だったらしい。大阪電燈時代にソケットの改良を思いつき、試作品を上司に持って行くと、「こんなのあかんで」と一蹴される。その悔しさから独立するが、元手はわずかな退職金と貯金だけだった。

苦心の末、完成した二股ソケットは1カ所から2つの電源がとれる画期的な製品だったはずだが、まったく売れない。しかし世の中、不思議なもので、ソケットに使った素材(練物)を扇風機の部品に使いたいと思わぬ注文を受け、事業の第一歩を踏み出すことになる。

【二股ソケット】

写真⑤二股ソケット

初めてのナショナルブランドになった角型ランプでも幸之助の苦労は続く。取り外しても使えるアイデアの自転車用ランプのはずだったが、どこの問屋も扱ってくれず、あっという間に2000個の在庫の山。幸之助がすごいのはここからで、無料配布を思い立ったのだ。それも1万個。失敗すれば倒産だ。3人のセールスマンを雇って小売店に配った。この戦略はズバリ当たり、2カ月後には注文が入りだし、さらに新聞広告も出した。たった3行の広告だが、3日3晩考え続けた幸之助が作ったのが「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」のキャッチコピーだ。これが見事、月30万個を売り上げる大ヒット商品となり、今の基盤となった。

さて、事業が破綻して無一文になった百福の方は、残された道は「食」しかなかった。終戦直後に見た光景が百福の脳裏に焼き付いていた。阪急梅田駅裏のラーメンの屋台で寒空に震えながらうまそうに食べる人たちの姿だった。

百福は5つの目標を考えた。①おいしくて飽きない味、②保存できる、③調理に手間がかからない、④値段が安い、⑤安全で衛生的--だ。中古の製めん機や直径1㍍もの中華鍋を買い、朝5時から夜中まで連日、試行錯誤を重ねるがうまくいかない。めんが団子になったり、ぼろぼろに崩れてしまう。1年間も苦しい日々を送っていた時、たまたま妻がてんぷらを揚げているのを見て閃いたのが「瞬間油熱乾燥法」で、世界初の即席めんの誕生となった。

【チキンラーメン】

写真⑥チキンラーメン

どうしてチキン味だったのか。これにも理由がある。百福の家ではニワトリを飼って食べていた。ある日、捌こうとしたニワトリが暴れ出し、それを見た息子がトリ肉だけでなく好きだったチキンライスまで食べなくなってしまった。スープにしてみたら喜んで食べたというのだ。

百福と幸之助の発明のアイデアはいつも身近なところにあった。

『苦境から生まれた使命感』

2人に共通するのは、学歴も財産も家柄もなく、頼れるのは自分だけという出発点である。小学校中退で病気がち、しかもカネがない幸之助には、だからこそ一緒に働く人間への信頼と感謝があった。商売の基本は自転車屋の小僧時代に学んだ。

台湾出身の百福も幼い頃に両親が他界し、高等小学校を出るとすぐに祖父の繊維業を手伝っていて、ここで商売の何たるかを学び、ゼロからスタートした。

部下を叱る時に「血のしょうべんをしたか」と迫った幸之助と、「転んでもただでは起きるな。そこら辺の土でもつかんで来い」が口癖だった百福。窮地に追い込まれて初めて本物の力が湧き出ることを自らの体験から言っている。

社会的な使命感も共通している。

1932年(昭和7年)、36歳の幸之助は奈良県天理市の天理教本部を訪れた。朝起きて外を見るとハッピ姿の信者たちがせっせと道路の掃き掃除をしている。「そうか、人間は使命のもとでは損得なく働くのか」。自分の使命は何かと自問自答する幸之助は「道端の水道から水の飲むように、物質を水のごとく生産し、貧乏を克服することではないか」と気づく。『水道哲学』だ。

百福の信条は『食足世平』(食足りて世は平らか)で、チキンラーメン完成25周年のパーティの日に浮かんだ4字なのだという。「人間は欲の深い生き物だが、特に食に対する欲望は果てしなく深い。食が足らないと争いが絶えない」。”食の仕事は聖職、平和の使者”とまで言い切る百福の原風景は言うまでもなく終戦直後の飢えた社会だった。

『ラストメッセージ』

『パナソニックミュージアム』に入ると『道』と書かれた大きなパネルが目に入る。「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか」。必ず道は開けると自分を信じて、思い切れ。そこで初めて深い喜びが生まれるという幸之助の信念は、自身に言い聞かせ続けてきたものに違いない。

【松下幸之助】

写真⑦松下幸之助

2007年(平成19年)の元日の朝、百福は例年通り新年の思いを揮毫し、翌日は元気にゴルフ、4日の初仕事の式では96歳ながら30分間立ったままで年頭の訓示をこなしたが、夜から体調不良を訴え、翌日、池田の病院であっけなく亡くなった。元日の揮毫は『企業在人 成業在天』である。「業を企てるのは人であるが、業を成すは天にある」。「道」と「天」--表現は違っても、人間の生き方と企業のあり方について幸之助と百福は同じことを教えている。 文=ATOM

【安藤百福】

写真⑧安藤百福

【予告】コラム「街・町・まち物語」は、基本的に第1、第3金曜日に掲載します。5月18日掲載の次回は、商社マンから転身、3つの企業で役員や社長を歴任し、今は中小企業支援と経営コンサルタントをする澤村文雄さんに起伏に富んだ経験から学んだことを話してもらいます。お楽しみに。

【コラム「街・町・まち物語」の過去記事一覧】

▽第10回「なにわのプチクルーズ」(18年4月20日)

▽第9回「大阪再生は文化の立て直しから=池田 知隆さん(大阪自由大学理事長)」(18年4月6日)

▽第8回「甲子園、ネット裏の”熱闘”」(18年3月16日掲載)

▽第7回「大阪城のレジリエンス力」(18年3月2日掲載)

▽第6回「行列のできる居酒屋=立山 雅夫さん(飲食文化研究所代表取締役)」(18年2月16日掲載)

▽第5回「すみれと桜 タカラヅカの鎮魂歌」(18年2月2日掲載)

▽第4回「出た!大阪・梅田に”亡霊たち”が」(18年1月19日掲載)

▽第3回「お笑い芸人に学ぶ関西の街づくり=吉村 誠さん(元朝日放送プロデューサー)」(18年1月5日掲載)

▽第2回「不思議な『浪華(なにわ)の忠臣蔵』」(17年12月15日掲載)

▽第1回「天才マンガ家は堂島から誕生した」(17年12月1日掲載)

2018.05.11

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