経営Management

経営コラム /

風に誘われて、街へ(10) 勇者たちのいた街、西宮北口

2019.01.25

新年の華やぎも一段落したころ、マルーン色の阪急電車に乗って、降りたのは「西宮北口」駅(兵庫県西宮市)。なんでも、近頃は「京阪神でもっとも住んでみたい街」なんだそうです。そんな街の魅力を味わいながら、今回は「今は無くなった、阪急ブレーブス」の残り香を訪ねてみることにしました。

旅の道案内は、増山実さんの小説『勇者たちへの伝言』です。

1

現在の西宮北口のメルクマール、「西宮ガーデンズ」。
阪急百貨店とイズミヤを筆頭に、たくさんの有名テナントが入っている5階建てのショッピングモールは、今日も小洒落た服装のお客さんたちでにぎわっていました。
食事のできるお店の客席からは、素敵な中庭と冬の青空が見えます。

2

その5階は「TOHOシネマズ西宮」というシネコンの映画館になっています。
私も、これまでに何度も映画を観にきたことがあるのですが、そのシネコンの入り口横に「阪急西宮ギャラリー」なる場所があることに気が付きませんでした。

3

ギャラリーの壁には、阪急電車の歩みがパネルで展示されており、備え付けのモニター画面からは、古い沿線風景が流れ、やがてそれは「阪急ブレーブス」の野球の映像へと変わってゆきます。

そして、もう一度ゆっくりと目を戻すと、ギャラリーの中央部に、今は無き「西宮球場」の大きなジオラマがあるのでした。ジオラマは球場そのものだけでなく、西宮北口の駅をも含んだ周辺の町並みや、交差する阪急神戸線と今津線の線路までをも再現していました。

4

「あぁ、そうや、ここはあの西宮球場があった所なんや」

今から40数年前に、2年間だけここ西宮北口で暮らしたことのある私は、記憶の中にぼんやりと浮かぶ駅前の商店街の面影を探ろうとしていました。

そして、小説『勇者たちへの伝言』も、主人公である工藤正秋(くどうまさあき)が50歳を迎えたある日、このジオラマの前に立ち、しゃがみ込んで子供の目線の高さになって球場全体を観るところから始まる物語り、なのです。

「そうや、ここは、あの日の西宮球場や」

――人生でたった一回だけ、親父が俺を西宮球場の阪急の試合に連れてきてくれた。

――あの夏、おれは8歳、父ちゃんは35歳やった。

――そやけど、何でやろ。父ちゃんは野球は嫌いやったはずや、ラジオでも絶対に野球中継は聞かへんかった。

物語は、ここから、生きている間中ひとことも息子には語らなかった「父の初恋」を紡ぎ出してゆきます。

石川県の能登半島に生まれた工藤忠秋(くどうただあき)は、20歳の冬に、親戚を頼って大阪に出てきました。そして、そこからの口効きで、西宮球場の近くにあった洗濯屋で働くようになりました。
やがて忠秋は、西宮球場に足繁く通うようになります。しかし、それは野球を観るためではなく、野球をやってない昼間に開催される「競輪」を観るため、だったのです。

忠秋はギャンブルの競輪にはまってしまったのでした。

そして、競輪嬢に入るための外野席の入り口には、食いもの屋の屋台が並んでいました。
その中に、母親と20歳くらいの娘の二人がやっているホルモンを売る屋台がありました。
ある日、最終レースの前ですっからかんになった忠秋が、そのホルモン屋の台の上から500円札を盗んだことをきっかけに、それをかばってくれた店の娘と「ことば」を交わすようになります。

ころころと、よく笑う、その娘の名前は安子(やすこ)。
忠秋と安子の、産まれたばかりの「恋」。
今津東映で、高倉健の映画を観た帰りに、安子が忠秋を散歩に誘って連れて行ったのが、西宮北口の駅を線路沿いに東へ1キロほど歩いた所にある「日野神社」です。

私も、冬にしては暖かな日差しに身をゆだねて、ゆっくりと線路沿いを歩いてみました。
すると、阪急電車の線路のすぐ脇に、いきなり鬱蒼とした緑の森が現れました。

5

住宅街の中に、忽然と現れた緑の空間。
目の高さには赤い椿と白い椿の花、地面にはたくさんのドングリ。
クスノキやアラカシやヤブツバキの樹々と葉で、昼間でも薄暗いその参道は、まるで時空を超えるトンネルのように思えました。
確かに、今から数十年前、この境内を忠秋と安子が歩いていたのかも知れません。

そして、冬なのにサンダルばきの素足で、地面に落ちているトチの実を蹴りながら、安子は言いました。
「うちな、朝鮮人やねん。日本人ちゃうねん。
本名は、李安子(イ・アンジャ)。ヤスコやのうてアンジャ。いやなことはいっぱいある」
二人の「恋」の行く手には、哀しい別れの予感が漂います。

そんな安子の大好きだった歌が、『星影の小径(こみち)』という曲でした。

静かに 静かに
手をとり 手をとり
あなたの ささやきは
アカシアの香りよ
アイラブユー アイラブユー
いつまでも いつまでも
夢うつつ さまよいましょう
星影の小径よ

手をつないで歩くだけで、ときめきとやすらぎを覚えるような「恋」。
小畑実(おばた・みのる)の歌うスローバラードは、今でも心に沁みる名曲です。
そんな安子に、忠秋が、
「何か、欲しいもん、ないか?」と聞いたら、
安子は「自転車」と答えました。

「吹く風をいっぱい顔に受けて、陽が沈むまでどこまでもどこまでも、どこまでも漕いで行くねん。うち、そんな自転車が欲しい」と。
その当時、自転車は高価で、貧しい忠秋には手の届かない代物でした。
ある日、洗濯物を配達していた忠秋は1枚のポスターを目にします。
「武庫川健脚大会」武庫川河畔の片道5キロを4往復するマラソン大会です。
そして、その賞品は、一等・テレビ 二等・カメラ 三等・自転車。
忠秋は安子には内緒で、このマラソン大会に出て、全力で走ったのでした。

「日野神社」を後にした私は、かつて工藤忠秋が走ったであろう姿を求めて武庫川の河川敷まで行ってみました。

6

傾き始めた冬の陽射しが、広い河川敷を代赦色に染めています。
ランニングをする人、犬の散歩をさせる人、今風のスポーツサイクルで走る人。
川面の淀みには、たくさんの鴨たちが浮かんでいました。
ここを懸命に走った忠秋は、ゴール直前まで3位だったのに、あと少しという所で抜かれて4位に終わります。景品は、参加賞のタオル1枚だけ、でした。
だけど、レースが終わってしばらく経ったある日、風呂屋に行く途中に出会った安子が、
「その洗面器の中のタオルちょうだいな」と言うのです。
「惜しかったなあ。けど、うち、うれしかった」と。

忠秋と安子に、別れの時が迫ります。
やがて、安子は母親と二人で帰国船に乗って北朝鮮に帰ることを決めたのでした。
日野神社の灯籠にもたれながら、安子が唐突に言います。
「野球、観に行こうよ」
競輪をしている昼間の西宮球場を生活の場として、12歳から丸10年を生きてきた安子。
同じく、昼間の競輪場にしか通ったことのない忠秋。
二人は初めて、「ナイターの西宮球場」を観に行くのです。
「うちとあんたが、この街に住んでた証として」

『阪急ブレーブス 球団歌』 作詞・サトウハチロー 作曲・藤山一郎

晴れたる青空 我らのブレーブス

萌えたつ緑か 我らのブレーブス

勝利を目指して 鍛えし技を

この日もしめさん 我らのブレーブス

阪急 阪急ブレーブス

オウ オウ 阪急ブレーブス

生まれて初めてみたナイターの西宮球場。
きらめくカクテル光線に芝生の緑、土色のダイヤモンドに白いホームベース。
忠秋と安子の脳裏に、鮮やかに刻み付けられた夜の西宮球場の風景。
そして、この日以来、記憶は固く封印されたのでした。

やがて、西宮を離れた忠秋は、なぜか10年後に息子正秋を連れて再び球場を訪れます。
一方、北朝鮮に帰国した安子は、「地上の楽園」とは正反対の飢餓や強制労働に耐えながら、幾多の苦難を乗り越えて70歳を迎えます。
そして、小説『勇者たちへの伝言』において、作者は、二人の想い出の曲『星影の小径』に乗せて、忠秋と安子の人生が交錯する奇蹟のように素敵なラストシーンを設定するのでした。

人は誰も、正解か不正解かなどわからずに、その日その時を迷いながら生きてゆきます。
そんな、すべての人たちに向けて、作者・増山実は小説の登場人物である工藤正秋の口を借りて語ります。
「自ら選んだその道で、懸命に生きたすべての人々が、人生の『勇者』であったことを」
「ぼくは決して忘れずにいようと思います」
そうです、「阪急ブレーブス」の「Braves」とは『勇者たち』という意味なのです。

なんだか今回は、自分の好きなオススメ本を紹介する「ビブリオバトル」のようになってしまいました。
それほどまでに『勇者たちへの伝言』は、私に感動を与えてくれたのでした。
登場人物である、忠秋や安子や正秋の話す「ことば」に何回も泣いてしまいました。
そして、この小説は、「希望」や「夢」だけが生きる力を与えてくれるのではなく、「想い出」も生きるための大きな力となるのだ、ということを教えてくれたのです。
「想い出」は決して後ろ向きではなく、前向きの感情でもあるのです。

7

帰りがけに、西宮北口の駅前に立って、駅から「西宮ガーデンズ」につながる飲食店の通りを、もう一度ゆっくりと眺めてみました。
再開発されて綺麗になった通りは、昼間の強く明るい光の中で見た時には、ただただ直線の硬さだけが目立つ新しい街並みでした。
しかし、夕暮れ時の橙色の光に照らし出された通りは、なぜだか建物の輪郭がふくらんで柔らかくなっているように見えました。
それは、この街で生きて暮らしてきた人たちの「情念」や「想念」が、建物の周りをたゆたっているから、なのかも知れません。
「街・町」を作るのは、やはり「人」なんだろうなぁ、と思いながら、私はマルーン色の電車に乗って西宮北口を後にしたのでした。

吉村 誠(よしむら・まこと)1950年山口県生まれ。東京大学文学部社会学科卒。朝日放送テレビプロデューサーとして多くのテレビ番組や映画製作を担当。宝塚造形芸術大学教授を経て、現在は同志社女子大学・関西看護医療大学で非常勤講師を勤めている。おもな担当番組に「M-1グランプリ」、「晴れ時々たかじん」、「ワイドABCDE~す」、プロデュース映画に「血と骨」(監督:崔 洋一)、「秋深き」(監督:池田敏春)、著書に『お笑い芸人の言語学』(ナカニシヤ出版)。

2019.01.25

建設ニュースおすすめ情報

1週間の動きを短時間で振り返る!

無料メールマガジン登録

メールマガジン登録

サイトで配信した記事のタイトル(見出し)を、分野別とエリア別に分けて1週間分まとめて確認できる便利なメルマガです。PC/携帯に対応!

登録してみる

月1,800円(税込)で、一歩進んだ情報を

建築ニュース有料会員

建築ニュース有料会員

不動産や民間工事の最新情報など、毎日配信される建設ニュースの全記事を、月1,800円(税込)でお読みいただけます
※年払いの場合

有料会員に申し込む